島の神社探訪

 沖縄県内で神社本庁に包括されている神社は11社と少ないですが、他にも神社本庁に包括されていない神社や、古くから地元の神様をお祀りしている御嶽(ウタキ)などが多くあります。ここでは沖縄神道青年会メンバーが訪れた神社を紹介いたします。※神社本庁包括下の県内の神社については沖縄県神社庁のページをご覧ください。

園比屋武御嶽(那覇市首里・首里城公園)

御嶽名:園比屋武御嶽 創建:不明(石門建造:1519年

 園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門をご紹介いたします(沖縄神道青年会会長・奥原)。

 園比屋武御嶽石門は首里城公園にあります。今回は車で行きました。首里城公園の駐車場(300円)に駐車し、「守礼門口」から上がりました。すぐに守礼門があります。下、右の画像では、左に守礼門が見えて右側に園比屋武御嶽石門が見えます。沖縄を代表する観光スポットだけあり、観光客で賑わっていました。

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 園比屋武御嶽石門は、世界遺産に指定されています。

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 園比屋武御嶽は国王が外出する際や、聞大君(きこえおおきみ)が就任する際に最初に拝礼した場所だそうです。そのためか、全然そういったものに関係ない私には、いまいちピンとこないというか、なんだかあまり関係ないような気もする御嶽です。しかも世界遺産。なんだかどこか他所の話のようです。しかしちょっと気になる由緒もありました。

 この石門は、1500年に八重山(石垣島)のオヤケアカハチの反乱の後に建てられたそうです。別の記事で紹介した、宮古島の漲水御嶽の石垣も、1500年のオヤケアカハチの反乱を収めた後に築かれました。この八重山のオヤケアカハチの反乱は、琉球にとっては意外に大きな出来事だったのかなと思いました。

 オヤケアカハチの乱の際に八重山へ赴いた役人が、西塘(にしとう)という人物を首里へ連れ帰り、その後西塘は建築技術などを学びこの園比屋武御嶽石門を築きました。日本の建築様式、中国の建築様式、どちらの影響もみられる、沖縄らしい造りになっているそうです。彼はその後、故郷の竹富島に戻り役人となるのですが、この時に竹富島に園比屋武御嶽の神を勧請し、国仲御嶽(フイナーオン)を作りました。

 

 さて、石門は石門で、園比屋武御嶽本体はこの裏の森全体なんだそうです。石門は、神社で言う向拝のような、拝殿のようなものでしょうか。大神神社みたいですね。というより御嶽はそういうものです。森のようなところに、香炉のような、お祈りする場所が少しあるという。以前は石門の裏に本殿のような祠があったという人もいるようですが、ちょっと良くわかりません。私としては森全体が御嶽だった説を推したいと思います。

 石門の裏には森が広がっているそうです。昔から、「御嶽にはむやみに入ってはいけない」とオバアに言われていたのでちょっと怖い気もするのですが、石門の裏を覗いてみました。

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 特に何も見つかりませんでした。怖いのでこれ以上は入れませんでした。

 

 下の画像は、首里城の正門、歓会門です。後ろには首里城が見えますね。バス、タクシー、モノレールなどでくる方たちもいました(下右、守礼門から道路側)。

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 ちょっと首里城も見たい気もしましたが、今回はここまで。ちなみに、首里城を観光する場合は、絶対に池上永一の小説「テンペスト」を見てからの方が楽しめます。私は「テンペスト」を読んだあと、どんなだったか確かめたくなって首里城へ行ったことがあります。

 私がこの記事のために写真を撮っていると、本土からの観光客らしき家族が「あーこれなんだ。そういえば写真でみたことあるような・・・?でもこれ門しかないんだね。」というような会話をしていました。「そうそう!ホントそうだよね~!!」と言いながら肩をバンバンと叩き、「これは裏の森が本体なんですよ~!」と言いたかったのですがこらえました。皆さんも首里城観光の際は見落とさないようお気を付けください!

GoogleMap

https://goo.gl/maps/r6dTeeMQCKQ2

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