沖縄県内で神社本庁に包括されている神社は11社と少ないですが、他にも神社本庁に包括されていない神社や、古くから地元の神様をお祀りしている御嶽(ウタキ)などが多くあります。ここでは沖縄神道青年会メンバーが訪れた神社を紹介いたします。※神社本庁包括下の県内の神社については沖縄県神社庁のページをご覧ください。
神社名:漲水神社(漲水御嶽) 御祭神:古意角 古意玉 創建:不明 例祭日:不明(宮古島夏まつりに併せて豊年祈願)
沖縄県神道青年会会長の奥原が、地元 宮古島の神社を紹介します。宮古島・漲水御嶽編(平成28年8月)。
宮古で一番有名な御嶽(うたき)、漲水(はりみず)御嶽です。宮古島にも民話があり、その中に創世神話のようなものがあります。そこに登場する神々、古意角(こいつぬ)と古意玉(こいたま)の2柱をお祀りする御嶽がこの漲水御嶽です。「漲水神社」とも書かれていまして、地元の人は漲水御嶽も漲水神社もどっちも使っている印象。どちらかというと御嶽でしょうか。ユタっぽい人たちは「ツカサヤー」などと言いますが、一般の人はピンとこないかもしれません。
毎年行われる宮古島夏まつりでは、まずここ漲水御嶽で女性神職たち(ツカサと呼ばれます)による豊年祈願が行われ、次に宮古神社で行われます。どちらも、神事の後に舞踊の奉納などがあります。お神輿が出る場合は宮古神社のお神輿が出ます。
宮古神社の鳥居前の駐車場から社殿に向かって左手に第一鳥居がありますが、ここをまっすぐ降りて行くと漲水御嶽に到着します。この宮古神社(旧宮古権現)付近から漲水御嶽に続く石畳道の一部も文化財なんだそうです。宮古神社の向かいには祥雲寺があり、その石垣も文化財に指定されています。
鳥居が見えてきます。石垣に囲まれた漲水御嶽。御殿向かって左手に手水舎があります。
拝殿の奥には本殿があります。本殿手前には御嶽らしく大きな香炉があります。拝殿向かって右側には広くなっている場所があり、こちらもお祈りをする場所のようです。さらに奥にはトイレ等があります。
漲水御嶽の石垣にはいわれがありまして、西暦1500年に八重山でオケヤ赤蜂という武人が反乱を起こした際、宮古の仲宗根豊見親と首里王府が討伐に赴き、その後戦勝記念に築造したと伝えられています。仲宗根豊見親は現在の宮古神社のご祭神にもなっています(宮古権現の熊野三神と豊見親三柱)。宮古権現(現宮古神社)が建立されたのはその90年後の1590年と伝えられています。
宮古島の民話で、この御嶽が登場する有名なお話があります。
ある若い娘が突然妊娠。相手は誰なのかと両親が問い詰めますが、夜中に知らないイケメンが来ると言います。両親は男の素性を探るため、長い糸の付いた針を男の着物に刺してみなさいと言いました。男が帰った翌日、糸を辿っていくと漲水御嶽の洞窟に到着。ヘビがいました。「私は古意角。子供は神になる。3歳になったら連れてきなさい」と言いました。3歳になった女の子たちを連れていくとヘビに連れられ昇天。神になりました。
全国に似たような異類婚姻譚の民話があるようですが、宮古島の場合は漲水御嶽がその舞台になりました。
昔はこの漲水御嶽くらいまでが海岸線だったそうです。いまは埋め立てられて少し遠いですが、近くに平良港があります。ここ一帯に、琉球王朝時代の役所である蔵元や、漲水御嶽、祥雲寺、宮古権現などがありました。
第二次世界大戦の時に宮古神社が破壊されたため、ご神体は一時、ここ漲水御嶽に納められました。その破壊されながらも焼け残った宮古神社が一時期キリスト教の教会になっていた時期があります。その時は、赤瓦の上に十字架が。なんだか面白いですね。(宮古神社が教会になっていた時期の画像がこちらのブログで紹介されています。→平良修「イエスと歩む沖縄」 2013/12/25 NHK Eテレ イエスと歩む沖縄)
宮古島の御嶽の中でも、多くの崇敬を集める御嶽です。宮古島に来られた際には是非宮古神社とセットでお参り頂けたらと思います。
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宮古神社