沖縄県内で神社本庁に包括されている神社は11社と少ないですが、他にも神社本庁に包括されていない神社や、古くから地元の神様をお祀りしている御嶽(ウタキ)などが多くあります。ここでは沖縄神道青年会メンバーが訪れた神社を紹介いたします。※神社本庁包括下の県内の神社については沖縄県神社庁のページをご覧ください。
神社名:大東神社 御祭神:天照大神 創建:1900年頃 例祭:9月23日(前日宵祭り)
沖縄県南大東島(南大東村)へ行ってきました。(撮影:2016年9月 沖縄県神道青年会 会長 奥原)
南大東島は沖縄本島の東、飛行機で1時間ちょっとの位置にあります。人口は約1300人。沖縄の他の島とは違い、琉球王朝時代は無人島でした。琉球の人たちは「大東島(うふあがりじま)」と呼んでいたそうです。西暦1900年に八丈島からの開拓民が入植。その後サトウキビ生産を開始すると、沖縄県からも多くの人々が移り住みました。そのため、八丈島と沖縄の文化が混じっているそうです。沖縄本島ではみられないお地蔵さんがあったり、でも沖縄でよく見る石敢當があったり、沖縄の離島だけどビーチが無かったり。
南大東島では、毎年9月22日と9月23日に大東神社を中心に「豊年祭り」が行われていて、波上宮から神職が出向して奉仕します。今年は私、奥原がご奉仕させていただく事になり、ちょっと緊張しながら行ってきました。JAL系の琉球エアーコミューターで約1時間。ホテルよしざとに宿泊しました。お祭りの時期のため飛行機は満席でした。
ホテルに到着してしばらくすると、南大東村役場の新垣さんがお昼に連れて行ってくれました。大東そばと大東寿司。そばは、ジャンル的には沖縄そばなんでしょうけど、沖縄そばとも宮古そばともちょっと違う麺。なんだかゼラチンっぽいというか。これがとっても美味しかったです。大東寿司も美味しい。サワラのヅケのお寿司なんだそうです。
少し時間があったので、ホテルで自転車を借りて散策することにしました。変速ギア付きのママチャリです。疲れた。。。年のせいなのか運動不足なのか。おそらく両方でしょうか。南大東島はすり鉢状というか、中央部分が凹んでいるそうで、中心付近にある集落から外側に離れると必ず上り坂があるそうです。ちょっとそこまで行ってみました。
下の右側の画像、道路なんですが、幟(のぼり)がたっているのが見えますでしょうか。明日行われる奉納相撲の幟です。全部手作りで、あちこちにたくさんたっていました。それぞれ好きな力士の幟を作っているんでしょうか。テレビに出てくるような力士の名前と、出場する方の名前も書いてあります。なんだか島の人たちが全員でお祭りを作り上げているようで、とっても楽しそうですね。
私の足で全部回るのは無理でした。1時間ほど散策してホテルに戻り、宵宮祭(宵祭り)の準備です。
大東神社です。鳥居をくぐって階段を上ると手水者がありました。さらに登るとお賽銭箱があります。向かって右側に社務所がありますが、写真を撮り忘れてしまっていました。
この後、宵祭りをご奉仕いたしました。当然ながら写真はとれませんでした。すごい雨でした。「こんなことは初めてです」と何人かに言われて、なんだか申し訳ない気分になりました笑。お神輿のお祓いをして、新しい御幣をお配りし、それぞれのお神輿に納めていただきます。お神輿は10台くらいあり、地元の若い方々が元気に担いでいました。お神輿は1日目も2日目も市中を練り歩くそうです。
翌日、豊年祭をご奉仕いたしました。当然ながら写真は撮れませんでしたが、写真を撮りに来ていた新垣辰雄さんというカメラマンの方に写真を2枚頂けました。新垣さんありがとうございます。下の2枚です。
この後、土俵のお祓いをしました。午前中は子供相撲。土俵は神社の第一鳥居のそばにあります。これもちょっと写真が撮れませんでした。下の画像は前日撮った画像で、まだブルーシートがかかっています。当日は会場いっぱいの人たちが相撲を見に来ていました。
午後には大人の相撲が行われます。力士たちが神前に参列し、お祓いと玉串拝礼をします。力士たちはその後、なんだか不思議な、何かの歌を歌いながら輪になって踊っていました。沖縄の言葉ではなかったので、八丈島の踊りなのかと思いましたが、後で聞くと違うそうです。おそらくどこか本土の方から流れてきたんだろうと言っていました。再び土俵をお祓いしました。私はまた社務所にもどったんですが、土俵の方でも歌って踊っているようでした。なかなか大変ですね。化粧まわしと言うんでしょうか。みんな綺麗なまわしをつけていました。
お祭りは夜まで続くようですが、私の役目はここで終わりです。片付けをして那覇に帰ります。大東寿司をお土産に買いました。残念ながら今回は秋葉神社にお参りできなかったので、今度はプライベートでのんびり来たいなと思います。みなさんも是非お参りください!